●武ブログ●

【コロナ時代】を生き抜く指南の書

日本人のルーツ【体験談編】

f:id:TAKE_blog:20200624004353j:plain

●武ブログ●まとめページ→●武オンライン●


あなたは、この日本において『国籍を持たない人々がいる』ことを知っていますか?


今回は、私の実際の体験談を元に日本国内に目を向けてみたいと思います。


f:id:TAKE_blog:20200624005309j:plain

北海道

f:id:TAKE_blog:20200624005309j:plain
私は小学6年生の夏休みの時に、友達の両親の故郷であった北海道の北の地域(ここでは敢えて場所は伏せます)の彼の親戚の家に1ヶ月間一緒に住み込んだ。


雄大な大地、清んだ空気、美味しい食事、おおらかな人々、まさに色んな物事に感動し、圧倒された。


しかし、私は感受性豊かな小学生の感想を皆さんに伝えたいわけではない。


私が伝えたいのは、その滞在期間中に遭遇した奇妙な体験である。


f:id:TAKE_blog:20200624005309j:plain

訪問者

f:id:TAKE_blog:20200624005309j:plain
ある日のこと。私が住み込んでいた友人の親戚の家に二人の親子が訪れた。


恐らく母親と、そして恐らくその娘。母親は20代後半、娘は7~8才といった感じに見えた。


その二人に対応したのは友達の親戚のおばちゃん。


私はそのおばちゃんと、訪れた母親のやり取りにとてつもない違和感を感じた。


なぜなら、二人には会話がなかったからである。


f:id:TAKE_blog:20200624011741j:plain

物々交換

f:id:TAKE_blog:20200624011741j:plain
おばちゃんと訪問者の母親は、手慣れた感じで笑顔を交わしながら食料の物々交換を始めた。

えっ!? 何が行われてるの!?


そして、

えっ!? なぜ会話がないの!?


私はその光景をただただ見届けるしかなかった。


f:id:TAKE_blog:20200624012529j:plain

とてつもない疑問

f:id:TAKE_blog:20200624012529j:plain
全てが終わると、訪問者の母親は笑顔でおばちゃんや私に会釈をした。娘さんも母親に促され、はにかみながら会釈した。


私は幼少期、極度の内気な性格で、自分から他人に話しかけることがほとんど出来なかった。そんな私でもさすがにおばちゃんに質問せざるを得なかった。


『おばちゃん、今の人達は何だったの!?』


私は心の中に沸き上がったとてつもない疑問をストレートにおばちゃんにぶつけた。


f:id:TAKE_blog:20200624013634j:plain

あなご

f:id:TAKE_blog:20200624013634j:plain
「ああ、あの人達は季節の折々に季節のものを持ってきて、米と交換していくんだよ。」


「えっ!? 米と交換!?」


「うん、この時期はあなごだね。今夜は美味しいあなご丼を食べようね。」


「なんで何もしゃべらなかったの?」


おばちゃんが『やれやれ』という顔を僕に向けた。


「あの人達は、日本語を話せないの。普段は山奥に住んでいるの。」


「山奥? 話せない?」


「うん。あの人達はそういう暮らしをずっとしてきてるの。だから、あの一緒にいた小さい子は、学校に通ってないのよ。」


「学校に行かない!?」


僕はおばちゃんの回答を聞いても、何が何だかさっぱり理解出来なかった。ただただ、あの女の子が


『学校に行ってない』



そして


『同じ日本人のように見えるのに日本語を話さない』



という事実に大きな衝撃を覚え、『可愛そう』とも同時に思った。僕は何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない、と子供ながらに感じていた。


その晩からは、約2週間連続で『あなご丼』が続いたが、非常に美味しく飽きがこなかった。


若さとは凄いものである。今回の出来事に対する疑念など、その2週間の間にすっかり消え去ってしまうのである。


f:id:TAKE_blog:20200624015429j:plain
その後、大人になって私は知るのである。


私とは違う血統で、この日本に脈々と生きてきた、


国籍を持たない

『まつろわない人々』がいる


ということを。


f:id:TAKE_blog:20200627222937j:plain
(注)私は当初、「あなご」のことを「八つ目うなぎ」と書いた。若かりし日々の記憶を思い出すのは非常に困難であるw

f:id:TAKE_blog:20200624015702j:plain